≪2018年9月15-17日≫
四国へ 大塚国際美術館へ
大塚製薬75周年事業で作られた美術館、世界29か国、150以上の美術館などにある千点以上の作品を実物大で陶板に
復製、展示され、偽物と言えばそれまでだがその規模は大きく、4kmを歩く世界美術大全集です。 |
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最後の晩餐 修復前 |
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左 大塚交際美術館
29か国の国旗が
飾ってある
右 美術館は山を
利用して作ってあり
正面からは建物は
見えず、40mの
エスカレーターで
上がったところが
地下三階になる。
作品は全て三脚や
フラッシュを
使わねば撮影は
自由ですし触る事も
できます。
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左 システィーナ礼拝堂 ヴァチカン
エレベーターを
上がると正面の
このこの礼拝堂が
迎える。
複製とはいえ
その迫力に圧倒
される。
右 最後の審判
ミケランジェロ
1537-1541作
手を上げている
のがイエス・キリスト
西洋美術を鑑賞
するにはある程度
聖書や西洋の歴史
の知識が必要な事を
痛感する。
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左 イブの誕生(上段)
アダムの誕生(下段)
ベンハーのタイトル
バックに効果的に
使われている。
右 スクロヴェーニ
教会堂
イタリア、
パドヴァにある
礼拝堂
ジョット1305作
この礼拝堂で
月2回、結婚式に
用いられるという。
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左 聖ニコラオス・
オルファノス聖堂
ギリシャ、テサロニキ
にあるという聖堂
右 エル・グレコの祭壇
ナポレオン戦争で
破壊され散逸した
ものの復元
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左 最後の晩餐
(復元後)
ダヴィンチ
1495-1498
ミラノ サンタ・
マリア・デッレ・
グラツィエ教会
復元後、復元前と
向かい合わせに
展示されている。
右 裸のマハと
着衣のマハ
フランシスコ・
デ・ゴヤ
1797-1800作
これらの額縁も
陶器による複製です
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左 レンブラント
テュルプ博士の
解剖学講義
薬のパンフレットに
このオマ^ジュが
あった記憶がある。
右 フェルメール
「真珠の耳飾りの
少女」あるいは
「青いターバンの
少女」と呼ばれる。
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左 ゴッホ
ヒマワリ・イベント
右 今はない
「ヒマワリ」
日本人が所有
していたが戦災で
消失したものを
複製したもの。
これを含めて
7つのヒマワリが
展示されてあった。 |
左 ゴッホの部屋
右 マネ
笛を吹く少年
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左 ルノアール
「ブージヴァルの
ダンス」
右 ムンク
「叫び」「思春期」
ほかにも、
ドラクロア、
ルーベンス、
ゴーギャン、ピカソ
などなど多数の絵が
ありますが
本物を見たのは
オスロの美術館で
見たムンクの
絵だけでした。
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左 ゲルニカ
ピカソ 1937
大塚美術館1階に
あり自然の光で
見ることができる。
左 美術館の中庭
モネの庭 地下1階
モネの絵が屋外
展示され池には
青い睡蓮をはじめ
様々な睡蓮が
咲いていました。
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左 庭園にある
ゴッホの
「孤独な散歩」
陶器だから風雨にも
強く日光にも耐え
色あせることなく
2000年は美しさを
保つといわれる。
右 庭に面して
レストランがあり
絵にちなんだ
食事が食べられる。
私たちは
「最後の晩餐」を
食べました。
付け合せがポテト
でなく、徳島名産ノ
サツマイモ鳴門
金時でした。 |
美術館のあと
近くの鳴門公園へ
左 公園から見た
大塚国際美術館
とレストラン(左)
円形に見えるのが
モネのには(B1)
右 大鳴門橋
渦しおも見える
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高知へ
左 桂浜
太平洋の波が
打ちよせる。
右 坂本龍馬象
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左 室戸岬
打ちよせる波と
岩だけだが
地質学的には
めずらしいのか
ジオパークに
なっている。
右 サボテンと
シャリンバイ
黒潮で暖かのか
サボテンやリュウ
ゼツランある。
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左 太平洋
荒波でしぶきが
上がる。
右 シャリンバイの実
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土佐藩士
中岡慎太郎像
坂本龍馬と一緒に
近江屋事件で横死
享年29歳
この近くの北川村の
出身だそうです。
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左 四国二十四番札所
最御崎寺
(ほつみさきじ)へ
右 山門
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左 お遍路さん
四国を旅すると
あちこちで歩き
遍路の人を見かけ
ます。
右 本堂
本尊は虚空蔵菩薩
本尊ごとにとなえる
言葉(真言)が違い
ます。
ここの真言は
「のうぼう
あきゃしゃ
きゃらばや
おん ありきや
まりぼり そわか」
でした。 |
左 室戸市街を望む
右 室戸崎灯台 |
左 北川村
「モネの庭」
マルモッタン
右 モネの池
この時期花は
少なかった。
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左 青いスイレン
右 スイレン
モネの絵を
モチーフに
作られている。
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左 光の庭
これも絵にある
風景らしい
右 白い彼岸花 |
左 彼岸花
右 メタセコイヤノの
緑がやわらかい
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左 大歩危
右 宿泊した
かんぽの宿
「伊野」
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左 仁淀川の夜明
右 土讃線鉄橋と
かんぽの宿
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