≪2019年5月3日≫
四国遠征1日目
アケボノツツジ咲く 西赤石山
1625.8m
今年は世間で10連休ということだが30、1、2日と勤務があり2日仕事の終わった後、Mishanらの四国遠征に
同行した。別府からフェリーで行き、八幡浜のフェr-ターミナルで思いがけなく誕生祝いをしていただき
ケーキでカロリー補給、石鎚SAで朝食ののち新居浜市の別子銅山遺跡のある東平から西赤石山をめざした。
昭和48年まで鉱石を採掘したという歴史を偲びながら登った西赤石山の稜線上のアケボノツツジはまだ蕾
だったが樹間から望む山腹を染めるピンクにはただそのスケールの大きさに感嘆するだけだった。その日は
伊予小松の遍路の宿「しこくや」の温泉で疲れをいやし翌日の寒風山・笹ヶ峰に備えた。
(2:35)八幡浜港=石鎚山SA・朝食=東平(7:00)−(7:05)変電所跡−(7:31)分岐−(8:20)角石原−
(8:25)銅山峰ヒュッテ(8:33)−(9:07)銅山越−(9:36)西山−銅山越(10:15)−(11:35)昼食(12:05)
−(13:23)西赤石山−(12:50)兜岩−(14:00)上部鉄道跡(14:18)一本松駅跡−(14:40)変電所跡−(14:50)東平 |
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稜線ではミツバツツジは蕾が多かったがここでは見頃。 |
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左 東平登山者駐車場
東平は別子銅山の
遺構があり観光客も
多いため登山者用
駐車場が奥にある。
右 遊歩道を行く
谷沿いに行く
鉱山のトンネルも
あるが通行禁止
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左 変電所跡
別子銅山は
昭和48年に平山
右 第三通洞
別子銅山の南北を
つなぐ1795mの
トンネル、
明治35年開通
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左 先ずは谷沿い
歩く
ミツバツツジが
咲いている。
右 かっての牛馬道
だろうか急傾斜の
山に整備された
道がジグザグに
登る。
途中から右へ
馬の背コースに
入る
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左 送電線鉄塔
展望が開け
ここで一休み
右 馬の背コースを
登る。新緑の中に
ミツバツツジが
咲いている。
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左 角石原
選鉱場と焼鉱場が
あったという。
手前の石は
トロッコの線路跡
右 往時の焼鉱場
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左 ミツバツツジと
ヒカゲツツジ
銅山峰ヒュッテの
ヒカゲツツジの
群落は特筆もの
これを見るために
ヒュッテに立ち寄る
右 銅山峰ヒュッテ
展望が開け
花もさいて気持ち
良い。 |
左 ヒカゲツツジを
見て分岐まで
引き返す。
右 銅山越へ
コバノミツバツツジ
トサノミツバツツジ
等があるが花付は
少なかった。
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左 登山道わきの
無縁仏、お地蔵さん
右 銅山越1300m
第一通洞ができる
明治19年まで
祖銅を運ぶだけで
なく鉱山に住む
3000人の食料等
生活物資も運んだ
という。冬季には
寒さのため犠牲に
なった人も多かっ
たという。
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左 西山へ
銅山越についたが
時間もあるとの事で
西山へ
右 ツガザクラ
銅山越一帯には
ツガザクラの
群落があり
7月には白い
花が咲くという。
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左 西赤石を背に
西山へ
右 西山山頂
樹間で展望は
ない。
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左 綱繰山を背に
縦走路少し行くと
展望が開け眼前に
絶景が
右 綱繰山
山腹を染める
アケボノツツジ
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左 銅山峰
小さなピークだが
立派な山名標識が
あった。
右 銅山越に戻る
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左 西山を背に
西赤石山へ
右 緩やかに登る
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左 ミツバツツジ
右 イシヅチサクラ
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左 ミツバツツジ
右 稜線は芽吹きが
始まったばかり |
左 昼食休憩
右 岩場を登る
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左 西赤石山
3回目の山頂
右 東赤石は
雲に隠れる。
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左 急坂を下る
右 兜岩
この種変には
アケボノツツジが
多いがまだ蕾だった
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左 山腹を彩る
アケボノツツジ
右 アケボンツツジ
なかなか真近には
見られない。
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樹間から望む
アケボノツツジ
遠くにしか
見えないがこの
群落は見事。 |
左 上部鉄道跡に出る
ここから鉄道跡を
歩く
右 朽ちた橋
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左 一本松駅跡
この下に
社宅あともある。
右 鉄塔下を下る
登るとき休んだ
次の鉄塔 |
左 東陽のマチュピチ
索道駅跡
右 案内図
今回は馬の背
銅山越、西山、
山頂、兜岩、東平
の周回コース
でした。
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左 宿泊した
「しこくや」
温泉あり、土産物
センターもあり
四国だけあって
お遍路さんも
多く泊まっていた。
右 八幡浜港で
一足早い誕生祝を
して頂きました。
皆さんに感謝です。
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