≪2016年4月29日≫
アケボノツツジ咲く山
西赤石山には2011年5月、別子ダム側登山口から鉱山跡を見ながら銅山越にでて山頂に立ったが
アケボノツツジにはまだ早く見ることができなかった、今回は東平から周回コースで再び登った。
参考タイム 東平登山口(9:25)−(9:35)変電所跡−(9:55)馬の背分岐−(10:40)角石原−(10:45)銅山ヒュッテ−近道−
(11:50)尾根−(13:10)西赤石山(13:35)−(13:55)兜岩−(15:25)上部鉄道跡−(15:50)一本松駅跡−(16:20)変電所跡
−(16:30)登山口=青少年の家、(後期高齢者を含むゆっくりペースです) |
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アケボノツツジに染まる西赤石山山腹 |
左 東平登山口
兄83歳、子51歳
右 鉱山社宅跡を
見ながら歩く
社宅跡といっても
石垣が残るだけ |
左 変電所跡
右に見て谷沿いに
行く。
右 案内図
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今回は馬の背
コースを行く
ピンク色が
歩いた道
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左 トンネル跡
坑道以外に
鉱石運搬のための?
トンネルが残って
いる。
右 ジグザグ道
かっての
生活道路だろうか
路肩は石垣 |
左 山肌を染める
アケボノツツジ
期待が膨らむ
右 馬の背コース分岐
直進すれば
銅山越だが展望を
期待して尾根道に |
左 送電鉄塔
切り開かれ
展望が良い
右 新居浜市街と
瀬戸内海
このあたりには
ヒカゲツツジが
多かった。 |
左 角石原
上部鉄道跡
ここから暫くは
水平道
右 ミツバツツジ |
左 ヒカゲツツジ
右 ミツバツツジと
ヒカゲツツジに
囲まれた
銅山越ヒュッテ
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左 銅山越ヒュッテ
角石原停車場の
後に建つ有人小屋
ここで鉱石を
積込み石ヶ山丈
まで運んだという
右 第一通洞
明治19年開通の
トンネル跡
この通洞により
銅山越を越える
ことなく鉱石を
運べるようになった
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左 ミツバツツジ
右 上部鉄道説明
角石原に集められた
鉱石はこの鉄道で
石ヶ山丈まで運ばれ
そこからリフトで
降ろされたというという
明治26年(1983)に
開通したこの鉄道も
通洞(トンネル)の
完成で鉱石を直接
東平に運搬できるように
なり明治44年(1911)
に廃止されたという。
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左 鉄道跡から
右の尾根を登る
右 尾根の新緑と
ミツバツツジ
尾根への近道
銅山越はパス |
左 尾根に出る
青空も出たが
右 西赤石へ
山頂は曇っている |
左 岩場を登る
このあたりから
ツガザクラガが
現れる
右 新芽
この日は気温が
下がり霧氷が
着いていたようだ |
左
アケボノツツジは
まだ蕾
右 東平を望む
眼下のアケボノ
ツツジは見ごろ |
左 西赤石山
まだ芽吹き前
右 だいぶ近づいた
今少し |
左 雪が残っていた
右 ツガザクラ
白い花をつける
らしい。
九州で見られない |
左 山頂三角点
先着4-5名が
休んでいた。
右 別子ダムを望む |
左 急坂を下る
雪解けで滑りやすく
ロープにすがって下る
右 梯子場
要所には梯子が
ありました。 |
左 兜岩
ここから望む
アケボノツツジは
見事という事ですが
未だ蕾
右 西赤石山
このあたりの
アケボノツツジは
まだ蕾、わずかに
ピンクに見えるが |
山腹のアケボノツツジは
見ごろだった が
近付けない |
登山路に
咲いていた
アケボノツツジ
鮮やかな、
華やか
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左
上部鉄道跡に出る
右 朽ちかけた木橋に
躊躇する兄
明治26年から
明治44年まで
蒸気機関車が
走っていたという |
左 高度感があり
怖い、ロープ伝いに
渡る。
右 七釜谷
ここの橋はいよいよ
朽ちて通行禁止
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左 橋を迂回
谷へ一旦下る
右 一本松停車場
一本松というが
今は数十本もの
松の木がある
ここから路線跡を
離れ尾根を下る
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左 鉄塔に出る
朝通った鉄塔が
見える
右 西赤石山を
振り返る
下山したら
青空が広がった |
左 夕食
部屋は火気使用禁止
外の竈とテーブルを
利用、この日は飯盒
炊さんと豚しゃぶ、
アルコールは多数
右 銅山自然の家
一棟に20人が泊まれ
バス、トイレ、寝具付
一人一泊千円という
安さです。
食べて飲んで風呂に
入ったあとは寝るだけ
8時には就寝しました |