≪2011年5月5日≫ 西赤石山
1625.7m
アケボノツツジ、ミツバツツジ、コメツツジ、ツガザクラの花で有名な山だそうですが、いまだ蕾、花はほんの少しでしたが
別子銅山の遺蹟に江戸、明治時代を偲びながら歩きました。
西条(5:30)=(7:00)別子ダム−(7:50)ダイヤモンド水−(8:50)銅山越−東山−(10:10)西赤石山−(11:25)銅山越−
(13:20)登山口=(14:10)マイントピア別子=(15:35)60番横峰寺=湯の谷温泉=西条IC=松山IC=松山観光港 |
左 別子ダム駐車場
新居浜から大永山
トンネルを抜け
別子ダムをめざす
右 登山口
住友林業の所有地で
よく整備され要所 要所に道標や案内板が
ある |
左 鉱山倉庫跡?
1690年から1973年
まで約280年間に70万
トンの銅を産出したと
いう。
別子銅山、大正五年
採鉱本部がこちらの
東延から新居浜側の
東平に移転され以後、
廃墟となっていった
右 鉱山接待館跡
レンガ塀が
残っている |
左
ミツバツツジ
咲き始めたばかり
右 病院跡
病院や劇場、醸造所
学校、役場、神社が
あり最盛期には
298名の児童が
学んだという |
左 ダイヤモンド水
切削中、水脈に
あたり掘削機が
破壊されダイヤ
モンドの歯が
残された事から
ダイヤモンド水と
呼ばれるように
なったという。
右 アセビ
数回谷を渡るが
橋が整備されている |
左 排水
谷の両側にわたり
精錬所などがあり
1キロの銅の生産に
木炭4キロを要した
という。
右 第一通洞南口
明治9年銅山峰の
南北を結ぶ1,020mに
およぶ水平坑道が
できここから鉱山の
近代化がはじまった
のだという。
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左 歓喜間符
元禄4年(1691)
ここから鉱山の
歴史が始まったと
いう
右 蘭塔婆山
元禄7年、火災に
よる犠牲者132人の
墓所だという。 |
牛馬道
なだらかな道が続く
明治になって作られた
といい、粗銅を牛馬の
背にのせて運んだの
だろうか。
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左 銅山越 標高1294m
粗銅を背負って
運んだとか風雪の
ために倒れた
者もいるという。
右 西赤石山
銅山越から |
左 縦走路
良く整備された
道が続く
右 ツガザクラ
高山にしかない
ツガザクラが
銅山峰の砂礫地に
分布している。
一帯には
コメツツジもある
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左 センボンヤリ
右 ミツバツツジ
例年なら花の
トンネルになる
季節だが |
左 笹ヶ峰
西山、綱繰山を経て
縦走路がある
右 東平
銅山の里
自然の家
大正5年ここに
鉱山の本部が
移されたといい
今は公園になって
いる。
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左 西赤石山へ
快適な縦走路
例年なら花の
道だが
右 山頂
岩場を登る
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左 山頂
右 三角点
さすが銅山の山
山名標識も銅板
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笹ヶ峰、寒風山、石鎚方面、雄大な景観が広がるが黄砂で見通しが悪い、笹ヶ峰まで6時間くらいか |
左 マイントピア別子
右 鉱山で使われた
鉄道の機関車 |