≪2025年1月3日≫
漱石の道を歩く 3回目
草野から追分へ
夏目漱石が熊本の第五高等学校の教授だった時、久留米の友人とともに御井から高良山に登り耳納山地を
発心山まで歩き発心公園に下りている。その時詠んだ俳句のいくつかが句碑に刻まれ登山路にありそれを
訪ねて歩いてきました。今回で3回目の漱石の道です、1回目は漱石の歩いたコースを高良山から発心山へ
歩きましたがずっと登りできつかったので2回目からは発心山からにしました。
長門石(6:26)=バス=JR久留米(7:00)=(7:21)草野−(7:40)発心公園−(8:14)三合目−(8:32)蔵跡−(9:18)発心山
−(9:43)白山−グライダー山(9:54)@ −(10:25)桝形山−(10:38)耳納平−(11:19)紫雲台−(11:43)耳納山−
(12:44)高良山−(12:54)飛雲台−(13:05)杉の城−(13:17)高良大社−(13:40)王子宮−(13:59)追分(14:04)=バス=
西鉄久留米乗り換え=(14:44)長門石 |
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左 JR久留米駅で
暗いうちに乗る
途中で夜明けとなる
右 草野駅
ICカードが使え
ないため久留米駅で
切符を買った。
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左 柿畑を見ながら
歩く、霜が降り寒い
右 発心公園
桜の名所だが
風が冷たい、トイレ
は水がでず使用不能 |
 
左 漱石句碑T
「松をもて
囲ひし
谷の桜かな」
夏目漱石は熊本の
第五高等学校の教授
時代、久留米の親友
を訪ね耳納山を歩き
俳句を残している。
右 水害で登山道が
崩落。石仏へは
いけない。 |
 
左 新しい登山道入口
林道から入る。
右 くぼんだ
急坂を登る。
すり減った
石が歴史を
偲ばせる。 |
 
左 三合目
ここまでも急坂
右 蔵跡、ここからも
急坂が続く。
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左 城址の北端に到着
城址はカヤが
刈り払われていた。
右 筑後平野を望むが
霞んでボンヤリ。
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左 発心山697.6m
三角点があり
草野氏の処点で
1577年築城したが
1588年には滅んで
いる。
右 白山を望む。 |
 
左 鞍部に句碑Uが
「濃かに
弥生の雲の
流れけり」
右 伐採地を左に
見ながら行く。 |

左 白山677m
展望はないが、
麓からの山容が
良い。
右 グライダー山へ
東側からは
遊歩道がある。
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左 グライダー山
日本新記録樹立
記念碑。
新春フライトの人も
登山者もいなかった
右 久留米市街
筑後川、霞んで
ボンヤリ。 |
 
左 朧橋
通称 誠橋
右 桝形山
606.5m
展望はないが
三角点がある。
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左 耳納平
今日はだれも
いなかった。
右 耳納スカイライン
が自衛隊によって
造られたことが
書いてある。
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左 長岩山分岐
高良大社までまだ
6kmある。
右 凌雲台
耳納スカイライン
にはほかに瑞雲台
紫雲台、飛雲台が
ある。 |
 
左 紫雲台
前回はやぶの中
だったが刈り払われ
ていた。
右 紫雲台碑
耳納山産業開発道
昭和38年・・・・
陸上自衛隊・・・の
文字がかろうじて
読めた。
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左 耳納山へ
右 耳納山368m |
 
左 兜山分岐
今回はパス
右 漱石句碑V
「筑後路や
丸い山吹く
春の風」
句にちなんで
丸い穴が開いて
いた。 |
 
左 くぬぎ林
この山では
めずらしい
落葉樹、近くで
椎茸が栽培されて
いた。
右 漱石句碑W
「人に逢わず
雨ふる山の
花盛り」
ここまで誰にも
会わなかった。 |
 
左 高良山へ
右 高良山 312m
山頂からの
展望はない。
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左 高良山から望む
宝満山方面
右 歩いてきた
発心山からの稜線
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左 漱石句碑X
「菜の花の
はるかに黄なり
筑後川」
右 飛雲台にある。
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左 高良大社
筑後国一の宮
高良玉垂命を祀り
1600年以上の歴史を
持つという。
右 正月と
あって参拝者も
多かった。
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左 追分に下る
右 季節外れの
シャクナゲの花が
二輪
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左 400段以上の石段、 両脇には
シャクナゲや桜が
植わっていた。
右 動乱蜂のヤグラ
動乱蜂
王子若宮八幡宮の
氏子たちが打上げる
花火、毎年9月15日に
開催される。
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左 王子池 」
右 王子宮
高良御子神社
高良玉垂命の皇子
九人を祀る神社 |
 
漱石句碑Y
「親方と
呼びかけられし
毛布哉
(ケットかな)
明治32年1月7日
夏目漱石は耶馬渓
からの旅の帰り道
ここで人力車を
すすめられたと
いう。 |