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英国紀行@≪2024年7月18-19日≫ 湖水地方 ストラドフォード・アポン・エイボン
コロナで暫く行けなかった海外旅行、今回はイギリスに行く事にした。ロシア・ウクライナ戦争のため、
ロシア上空が飛行できないため南回りとなり時間がかかるようになりしかもエコノミーの狭い機内のでの
長時間は苦痛ではあったがイギリスの一部ではあるが楽しむことができました。
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延々広がる丘は牧草地か牧場で麦畑などの耕作地はなかった。
左 7/17 16:40
福岡空港
右 香港空港
所要時間3時間半
香港着
乗り継ぎまで
4時間
左 7/18
現地時間9時45分
マンチェスター空港 14時間の空の旅
でした。
時刻で見ると
1:00発 8時半着
右 湖水地方へ
143km、2時間半
車窓には延々と
丘が広がるが
牧草地か牧場で
麦などの畑は
なかった。
左 湖水地方
ウインダミア
小さな町だが
観光客が多かった。
右 建物は吊り鉢で
花が飾られていた。
左 ピーターラビット
博物館
右 ピーターラビットの
作者、
ビアトリクス・ポター
はこの湖水地方の
自然保護に努めたと
いう。
左 ピーターラビット
博物館内部
右 評判のパイを
ベンチで食べる。
イギリスはカード決済が主流で店だけでなく、バス、タクシーまでタッチ決済が行われていた。
イギリスの公衆トイレは多くが有料でコインが必要だがカードでしか利用できないところもあった。
左 セントマーティ教会
右 船着き場
多くの観光客で
賑わっていた。
どこも花がきれい
であった。
左 ヒゴダイ
右 フーロ
左 水辺では多くの
野鳥が観光客に
餌をねだっていた。
右 ヨットやレジャー
ボートも多い。
左 遊覧船に乗る。
初めデッキにでて
いたが寒く船室に
入った。
右 ヨットも多い
左 キャンプ地もある。
右 観光SL
ウィンダミア湖畔からクルーズ船でレイクサイドへ向かい到着後岸壁直結の駅からSLに乗車する。1910年代〜1950年代製造のビンテージSLでハバースウェイト駅まで約18分の鉄旅。
左 蒸気機関車
右 ハバースウエイト 駅
左 カフェ
メニューにウドンも
右 ニッサン車
キャッシュカイ
日本名 X-trail
左 泊ったホテル
ザ・ロー
右 ホテルから
ウインダミア湖を
望む。
7/19
バスで南下
ストーク・オン・
トレントへ
左 丘陵地が続く
右 路わきには
ヤナギランも
多かった。
左 ウエッジウッド
創業者象
右 ジョサイア・
ウェッジウッド
濃い磁器に白い
レリーフ、
張り付けて作ると
いう。
左 ウエッジウッド
多くの焼き物が飾られていたがそこにはいかに中国や日本の焼き物にあこがれていたががわかる。
右 ヤナギランが咲いて
いた。
左 ウエッジウッドの
庭。
ティポット?
右 有名なデザイン
らしい
左 アフタヌーンティ
紅茶、サンドイッチ、
ケーキで昼食
右 ケーキに
WEDGWOODの名が
ストラッドフォード
・アポン・エイボン
へ
左 一旦停止は
GIVE WAYという
らしい
右 ストラッドフォード
・アポン・エイボン
シェークスピアの
墓のあるホーリー
トリニティ教会
左 教会内部
パイプオルガン
右 壁は石作りでも
天井は木造
左 ステンドグラス
右 教会内部にある
シェークスピア
(1564-1616)の墓。
左 巨大なろうそく
右 教会の墓地
左 ストラッドフォード
・アポン・エイボンの
町並み
右 シェークスピアが
通った学校
左 500年以上経った
建物が残っている
のに驚く。
右 これはホテル
シェークスピア生家
左 シェークスピア象
右 ピエロ像
シェークスピアに
出てくるのだろう。
左 民家
どこも庭が美しい
右 ロイヤル
シェークスピア劇場
左 シェークスピア像
周囲に四大悲劇
(ハムレット、マクベス
リヤ王、オテロ)の
主人公の像がある。
頭蓋骨をもち
悩むハムレット
右 ショーウインドウの
中のシェークスピア
窓ガラスに景色が
映っていた
左 宿泊した
ビルズレー
マナーホテル
荘園領主の館を
ホテルとして利用
右 ホテルにあった
リチャードバートン
の写真
シェークスピアの
ヘンリー四世を
演じた時のもの
歴史を偲ばせる
ホテル内部
ロビーやパブは
古風なつくりですが
客室はバスタブも
あって近代的でした。
ただエレベーターは
なく、荷物はポーター
に依頼しました。
左 夕食
結構なボリウウム
です。
右 玄関にあった
フェラーリ
何かのCM見たような
光景です。
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