カムチャッカ大自然ツアー
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≪2005年7月18−19日 プロローグ アバチャ山麓ハイキングへ≫ |
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コリャーク山(コリャークスキー)3456m アバチャ山(アバチャスキー) 2741m
旅客機から |
2005年6月、西日本新聞でカムチャッカが紹介された。世界自然遺産にも指定され、知床以上の自然という。
しかも福岡からでも、朝出れば夕方には着くという。そんな言葉にひかれ、ロンドン、パリにも行ったことがなく、
これがはじめて同然の海外ツアー、早速、アミューズトラベルのツアーに申し込んだ。まずはネットで下調べ、
というよりガイド本を探したのだが近くの紀伊國屋にもなく、ネット以外では情報は得られなかった。
(北海道新聞社より絶版になっていた「カムチャッカの旅」にかわり、「ロシア極東2
カムチャツカ 」が2002年4月より発売されています) |
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カムチャッカ半島
日本の北東、北海道から1000kmに位置し
面積は日本の1.3倍、活火山だけでも30以上もあり、
この火山群が世界自然遺産に指定されているという。
軍事上の機密から1991年まで外国人どころか、
ロシア人も入るのに許可証が必要だったという。
現在は開放され、その手つかずの豊かな自然に多くの
観光客が訪れるという。
新潟から1時間半の飛行でウラジオストックへ
ここで乗換え3時間で州都ペトロパブロフスクに着く
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かっては30万人はいたというペトロロパブロフスクは
カムチャッカの人口40万人のうち約20万人が生活する
都会であるが人口の減少が続いているという。
町からも望める火山コリャーク山とアバチャ山のうち
アバチャ山に登り、山麓のフラワーハイキング、
ビストラヤ川の川下りとマス釣りをし、多数ある温泉の
うちマルキ温泉でツアーの汗を流し、パラトゥンカ温泉に
泊まるというプランである。、
すべてがkamchatintourのプランによるものらしい。 |
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7月18日 福岡7:35→9:05新潟11:00→14:45(現地時間日本より+2時間)ウラジオストック
ウラジオストック17:00→22:00(現地時間日本より+4時間)ペトロパヴロフスク アバチャホテル泊 |
左
新潟より乗った
ツボレフ154、冷房が
十分でなく離陸まで
備え付けのうちわを
使用した。
B727とそっくりと
いうよりパクリ?
右
ウラジオストック
ここで国内線に
乗換え
駐車場の車は
殆んどが日本の
中古車 |
左
ペトロハバロフスクの
空港、到着時は曇り
寒かったのだが
右 アバチャホテル
建物は古く
エレベーターは
きしんだが
まあ清潔でした。
チェックのためか
女性の従業員が
各階いた。
食事はうす味で
日本人にはあう
ようでした。 |
日本では高山植物で
あるタカネイバラや
チシマフウロが町の
あちこちに咲いていた
車の殆どが日本の
中古車であり、トヨタ、
三菱が人気のようで
なぜかニッサンは見な
かった。
空港の搭乗バスには
急停車に注意の日本語
表示がそのままだった
右
街角にあった戦車
T34、何かの記念
らしい。 |
建物はどれも古く
集中暖房で一戸建は
ないとの事、
郊外にダーチャと
呼ばれる農地付き
別荘を持ち、夏の
間にジャガイモの
栽培を行うという
キュウリやトマトの
栽培にはビニール
ハウスが必要との
事
右
カジノらしいが
行かなかった。 |
7月19日 ペトロパヴロフスクよりアバチャ山麓の山小屋へ 午後
ラクダ山ハイキング |
朝7時ホテルを出発
トラックの荷台に
客室を乗せた。
軍用四駆。
途中でスーパーに寄り
ビール
(500ml缶30ルーブル)とスモークサーモンを
買う
出発から20分
空気バルブの不調で
エンコ。
修理して無事出発
林道から、河川敷を
揺れに揺られて
進んで行った。
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左
コリャーク山と
通訳のオリガ
雪が深く、しかも
やわらかいため
スリップして
進めなくなり
救助を待つ。
右
六輪駆動車の
救助により山小屋着
一棟が二つに別れ
ニ段ベットがあり
8人が宿泊できる。
風呂もシャワーもない
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やや遅くなった
ものの昼食の後
午後4時から
ラクダ山へ
ハイキング
左 ラクダ山
右 アバチャ山と
ミヤマムラサキ |
雪の道を登る。
ハイキングといっても
往復四時間、
中高年は元気です。
特に女性は
このツアー16人中
女性が11人、12人が
単独参加でした。
右
砂礫地に咲く
リシリヒナゲシ
それもたくさん
咲いていました。
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左
オヤマノエンドウ
いたるところで
群落をなしていた。
右
噴煙をあげる
アバチャ山
ラクダ山にて |
左
トウヤクリンドウかと
思ったらインディアン
ペイントブラシといい
アメリカ大陸に多く
あるものらしい。
右
利尻岳ににた
コリャークと
ウルップソウ
この花は、白馬や
大雪にもある。
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左
山小屋の食事
山小屋には日本の団体が
5−6グループも入り
日本人村の様相を呈して
いた。
食事はまあまあで、
ジャム入りの紅茶で終る
ビールは一缶50ルーブル
あまり冷えてなく、雪で
冷やした。ウオッカは
冷やしてのむがビールを
冷やす習慣はないとの
ことでした。
右
愛嬌を振りまくジリス
11時までは明るいが
明日に備え10時に就寝 |