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≪2018年3月23-25日≫ 鹿児島  仙巌園 蒲生八幡 イワツツジ山 藺牟田池
           宮崎県 西都原 日向岬 笠沙山 西郷隆盛宿営地
     
3年前、藺弁田池外輪山に登りCoCoフォレいむたに泊まった、犬も泊まれる宿という事で今回は犬をつれ観光目的に出かけた。
  落羽松 別名ヌマスギ 藺牟田池にて  九大の篠栗演習林のが話題になっているが。

鹿児島仙巌園
 今年の大河ドラマが
 「せごどん」と
 いう事で観光客も
 多かった。

左 仙巌園・集成館


右 反射炉跡と模型
 書物だけで作った
 というからすごい。
 

左 磯庭園
  山桜は既に終り
 イワツツジ、
 石楠花が咲いて
 いた。


右 桜島を望む
  藩邸から

左 島津氏別邸中庭
 「せごどん」の
 ロケもここで
 行われたとか


右 食堂?
  薩摩切子の
 グラスが並んでいた

左 寝所
  時代劇通りです



右 桜島
  噴煙を上げる姿は
 雄大、存在感があります。
 「わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば煙はうすし桜島山」平野国臣

 大楠の町蒲生町
 「がもう」でなく
「かもう」と読む。


左 蒲生八幡神社


右 神社本殿

左 日本一の巨木
  樹齢1500年
  根回り 24m
  直径 4.5m


右 空洞になっていて
 八畳もあるという

 岩ツツジ山

左 岩ツツジ山
 さつま町鶴田


右  個人の山で
 40年以上かけて
 育てたという、
 ハヤトミツバツツジ
 5千本がいまや見頃

左 まだ蕾も


右 ?

左 鶴田ダム
  

右 桜見頃

藺牟田池

左 CoCoフォレいむた
  犬も泊まれる


右 ホテルからみた
 藺牟田池
 山王山と片城山

左 愛宕山と舟見山



右 ヌマスギ
 (落羽松)
 手前にあるのは
 気根、泥炭。
藺牟田池は泥炭形成植物群落の名称で天然記念物となっている。

左 カラマツに似た
 葉が芽吹いていた。



右 晴天、風もなく
 まるで鏡

左 桜も映る
  


右 桜も見頃
 例年より1週早い。
  ここで八山会の
 人たちを出迎え
 お見送り。

 桜の名所へ
 宮崎の桜の名所と
いえば都城の母智丘と
西都原が有名という
まずは都城へ


左 母智丘公園
 「もちがおか」で
なく「もちお」と
読むのを初めて知り
ました。


右 母智丘神社へ
  

左 母智丘神社
 警視総監になった
 三島通庸が再興した
 という。



右 神社から見た
 桜並木

左 桜並木
  多くの出店が
 でて賑わっていた。



右 都城市街を望む
 

 西都市桜の名所

左 西都原公園
 多数の古墳があり
 「男狭穂塚」と
  「女狭穂塚」は
 瓊瓊杵尊と
 木花咲耶姫の墓と
 され宮内庁管理と
 なっている。



右 古墳と菜の花と
 桜と今や見ごろ

左 とにかく広い





右 菜の花畑
  

左 人も多い



右 高鍋海棠
  野海棠とは
 僅かに違うらしい。



 日向市
 神武天皇は日向の
 美々津から東征
 したという。

左 クルスの海
  ここも多くの
 観光客がいました。



右 柱状節理
  日本一の高さとか


左 馬の背



右 細島灯台

 延岡


左 出逢いの聖地
 愛宕山(旧笠沙山)
 延岡城を城山に作る時、山頂にあった愛宕神社をここに移し山名を愛宕山と変えたという。


右 天孫降臨した
 ニニギノミコト
  (瓊瓊杵尊)は
 コノハナサクヤヒメ
(木花咲耶姫)と
 笠沙でであったと
 古事記にあるが
 その地かどうか?

左 延岡市街
 県立病院、旭化成の
 煙突が見える。


右 太平洋
 霞んで水平線も
 ぼんやり


 延岡市北川町
 西郷隆盛宿陣跡

左 薩摩軍約3,500人
 官軍約50,000人
 和田越の戦いで
 敗れた北川に敗走



右 明治10年8月16日
 西郷隆盛は
 ここで最後の軍議
 薩摩郡を解散、
  祝子、三田井、
 五ヶ瀬を経て
 約40日後9月24日
 城山で自刃したという。


左 西郷隆盛がここで
 焼いたという陸軍
 大将の軍服の
 レプリカ

右 可愛山稜伝説地
 日本書紀にある
 瓊瓊杵尊の埋葬地と
 いう。
 ここも宮内庁管理
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