目次に戻る
≪2022年1月8日≫ ふるさの山 米山 590.9m 麻底良山 294.8m
久しぶりに林道米山線から米山に登り下山後麻底良山に登りました。
米山 590.9m
へ
左 林道米山線
この先黒川や松末に
通じるのだが崩落し
今は工事中
右 送電線鉄塔
左 登山口の案内標識
上る途中は裏側しか
見えず見逃した。
右 この先から左の
尾根を目指した。
左 植林地内には
荒れた作業道が
いくつもあった。
右 気持ち良い桧植林地
左 所々にテープは
あるがあてには
ならない。
右 崩落地の横を行く
ここまでは楽々
だったが。
左 山頂が近くなると
笹薮に難渋
右 倒木を乗り越える
のも一苦労。
左 左に迂回し植林地
から山頂をめざす。
右 米の山山頂標識
かってはあった、
米山城址、山本一春
・若子の標識はなく
なっていた。
左 藪の中にあった
二等三角点米山
590.9m
右 高山方面、
筑後平野、耳納産地
左 笹が伸びて展望は
限られそれに黄砂か
PM2.5でボンヤリ
右 大石堰方面
左 帰りはできるだけ
作業道跡を行く
右 植林地が続く
左 倒木も多い
雪が残っていた。
右 林道に出る
左 林道は大きく
崩落工事中
右 日陰には雪の
残る林道を戻る。
左 取付きに戻る
右 山の駅から見た
米山。
麻底良山へ
左 林道米山線から
見た志波地区と
麻底良山
右 普門院に駐車
左 めざす麻底良山
右 平成ビューホテルを
望む。
左 左右良城跡
(麻底良城)秋月氏が豊後大友氏の攻撃に備え山頂に築城、福岡黒田藩時代には筑前六端城の一つに数えられ、城主栗山善助→栗山大膳が朝倉地方を支配した。
右 麻底山案内
左 麻底良神社鳥居
右 麻?良の?は
氏の下にーだが
ないこともあって
底が使われる。
左 麻底良神社下宮
子供のころ3月15日の春祭りには相撲大会があって賞品がもらえ楽しみだった。しかし初戦で負けて鉛筆一本のことおおかった。
右 参道、子供の時はもっと急だった、山頂神社改修の時キャタピラ運搬車が通れるよう作られたのだろう。
左 石の祠
右 山頂三角点
麻底良294.8m
左 山頂神社、子供の時初日の出を待つ間中で寝て待った記憶がある。平成10年に改修されたという。
右 石灯籠
寛政四年と刻まれている。
左 神社内部
額と絵馬
右 神社内から
左 展望は木が邪魔をして志波の一部しか見えなかった。
右 十九社とあったが石祠は十しかなかった。
左 宗像三座、住吉三座、志賀宮三座など複数の神を祀る石祠も。
右 普門院
福岡県最古の木造建築
左 普門院正面
右 隠れ家の森と
麻底良山
左 隠家の森
クスノキ一本でも森?
右 樹齢1500年以上、日本で八番目の巨木という。
左 幹回り18m
樹高21m
根廻35.4m
右 幹の内部に八畳ほどの空洞があるという。
米山 2016/12/16
麻底良山 2014/12/28
目次に戻る