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≪2018年8月11日≫ ふるさと温泉原鶴へ
 
息子達が嫁を連れて里帰りした。親類に紹介するべく原鶴温泉パーレンス小野屋で、会食となり、夜は鵜飼にでかけた。

 筑後平野

 屋形船乗り場

 屋形船、以前は宴会もできていたのですが。

 屋形船

 水面に提灯の灯りがうつる。

 鵜匠登場

 昨年の水害で川底に砂がたまり魚が少ない。

 鵜 鵜匠は6羽の鵜を操っていた。

 原鶴橋と久留米方面、遠く久留米市役所が望めた
≪2017年7月9日≫ ふるさと大水害
 私の生まれ故郷は福岡県朝倉市杷木志波梅ケ谷で高校を卒業するまで過ごしました。柿の栽培が盛んで近くに鵜飼いで有名な原鶴温泉があります。両親はすでに亡くなりましたが、多くの親戚が暮らしています。しかしその故郷が7月5日の集中豪雨で甚大な被害を受け、私の親戚は無事でしたがまだ多くの人が行方不明のままです。

 筑後川河川敷の流木

 三連水車付近

 川幅が何倍にもなった北川 果樹園だった所です。

 避難所となっていた志波小学校体育館も北側が崩落

 志波小学校から見た麻底山と迫る北川

 奥に見える弘蔵山に降った雨が濁流となって流れ下った。

 子供の時く泳いだため池は埋まってしまっていた。
 
国土地理院動画

 ため池より上流の二つの集落はほぼ全壊だいう。

 ため池からみた下流、柿園は流され宅地にも被害が

 通れなくなった県道、幸いう回路は無事です。
  
 国土地理院動画

 Y商店、母屋は残っていますが倉庫は流失。

 在りし日のY商店倉庫。

 O邸 広い庭に面していたのですが。

 旧実家跡への道

 第十五代横綱梅ケ谷生家跡 記念碑は無事でした。

 前の畑には石ころが

 作業小屋は無事でした。

 実家に被害はありませんでした。水はあふれ道路も冠水したそうです。

 塚原集落も無事です。

 原鶴放水路と高山 橋脚には流木がたまっていた。

日頃はソフトボールなどのグラウンドになるのですが


 7/14 うきは道の駅からみた、杷木の米山、
      がけ崩れのあとがあちこちに。
志波の言い伝えではこれまでに3回の山崩れがあったという、一つは烏山崩れであり、このときは三原弾正がたてた金鳥山紫雲庵が流され本尊の鴛鴦観音だけはのちに見つかり現在も円清寺で祭られている。二回目は千代島崩れ、もう一つは黒田の家老、栗山大膳にまつわる大膳崩れである。このように数百年に一回大規模な山崩れを物語っている。
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