志波 平成の町村合併で朝倉市の一部となった旧杷木町志波地区は杷木志波という名になった。かっては500戸の
家があり人口3000人、小学校も生徒数は500人はいただろうか、裁判所、銀行の出張所、郵便局、専売所
(葉タバコの生産が盛んだった)などもあった、麻底良山の麓で相撲大会が行わた春市祭り、夏の祇園祭り
では山笠に乗るのが楽しみだった、「ヨイヤ、マーカセ」の掛け声とともにほうりあげられた毛鎗を受け
取ったり、挟み箱をさばいた大名の参勤交代のもようを模した行列、(挟み箱の名人で吉井の若宮くんち行列に
よばれていた隣のタカチャン)そんな思い出のふるさとの山々です。
麻底良山
295m 志波の西に位置する山 |
左
登山口となる普門院
聖武天皇の勅願道場
として724年に建立
されたという、
堂内には
本尊十一面観音像が
安置されている。
右 登山口から見上げる
麻底良山
志波は黒田藩の
家老栗山氏の領地で
菩提寺である
円清寺もある
麻底良山は山城の
あとです。
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左 参道
右 鳥居の扁額
までらの
”で”は
底の广のない字で
現在は使われず
底の字が使われる
この一帯は政所と
いう地名が残って
います
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左 花柿
右 参道途中の石祠
毎年3月15日には
春市といわれ
祭りが行われ
木の枝についた
オコシ米のお菓子
相撲大会でもらう
景品が楽しみだった
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左 山頂の神社
この前の広場に
三角点がある
小さいときこの
神社の中で
初日の出を待った。
右 掲げられた絵も
剥離し色褪せていた
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左 実家の柿畑から
望む麻底良山
右 志波の町と高山を
望む
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高山 190m
志波の東に位置する山 高山というには低い山ですが筑後川が眼下を流れます
山に至る車道の入口に大膳楠といわれる楠の木があります。 |
左 高山の荒れ果てた
遊歩道
右 三角点
TV中継塔の先に
あった。 |
堂所
414.6m 志波の北東に位置する山 かって近くにおしどり観音を祭る金鳥山金応寺があったという。 |
左 林道 右 三角点
堂所は地名とばかり
思っていたが地図で
見ると三角点があり
確かめにいったが
それはこの林道の
すぐ上にあった。
堂所とは室町末期
三原弾正がこの地に
金鳥山金応寺を
建立したことに
よるという。
地名として他に
さえん(茶園)や
でえも(大門)
などが残っている。
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米山
590.9m 志波の北東に位置する山 |
左 登山口
高山から入り山の
駅を過ぎ、送電鉄塔
の先にある。
右 三角点
あれた林道を行き
途中から左手の
尾根に入る。
ここも山城の跡と
いう |