求菩提山 782m  虎の宿 806.9m      目次に戻る     
≪2009年11月7日≫ 歴史を偲ばせるかっての信仰の山に
  継体天皇二十年(526)の猛覚魔ト仙により開山、大宝四年(704)の役行者が入山、養老四年(720)の行善による
  求菩提山護国寺の建立し十二世紀中頃(平安時代末期)に入って天台宗の僧・頼厳によって再興され修験道の山となり、
  五百もの坊がおかれ山伏たちが山内に住み、厳しい修行に挑んだという、しかし、明治元年(1868)の神仏分離令に
  よる廃仏毀釈と明治五年(1872)の修験道廃止令によって、求菩提修験道はたえてしまったという。山中いたるところに
  その史跡を見ることができる。
 
   求菩提駐車場(7:50)−中宮(8:15)−鬼の石段−上宮(8:30)−胎臓界護摩場跡(8:40)−虎の宿(9:00)−
    胎臓界護摩場跡(9:15)−阿弥陀窟(9:35)−氷室跡(9:40)−駐車場(9:55) 

左 求菩提山
  鳥井畑からみた
  求菩提山

右 座主園地駐車場
  トイレもある
  駐車場、
  紅葉までいま少し

左 参道
  石段が往時を
 偲ばせる。
  紅葉が美しいと
 いうが、
 まだ早かった。

右 中宮
 求菩提山護国寺も
 明治になって
 国玉神社と改め
 られたのだという

左 カラス天狗
  
 
右 鬼の石段
 中宮から上宮まで
 急な石段が続く
 鬼が造ったというが
 鷄が鳴き完成寸前で
 退散したという
 あちこちにある
 鶏鳴伝説のひとつ。

 上宮
 参堂は落雷で
 焼けたという。
  樹林のなかで
 展望はない。
 

左 胎臓界護摩場跡
  犬ヶ岳への
  縦走路の途中に
  あり、五窟への
  分岐となる。

右 虎の宿跡
  桧林の中に
  ベンチと
  三角点がある
  ここで
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 分岐から下ると
 岸壁が現れる
 それに沿っていくと
 五つの窟がある。
 
左 吉祥窟
  五窟のひとつ

右 氷室跡
 雪を踏み固めて
 萱などで覆い
 夏に取り出したと
 いう。
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