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 諫早周辺の山 諌早は家内の実家、年に数回出かけたとき暇を見て近くの山に登っています。
   獅子喰岳 237m  蓮華石岳 280.3m  金比羅岳 247m
   碁盤ノ辻 270m  井樋ノ尾岳 406.8m 八天岳 296.7m  
   飯盛山 294m   向山(積山) 168.2m 島原街道
  獅子喰岳(ししくらいだけ) 237m ≪2009年1月11日≫ 森山チサンCC北側の山

 県道から採石場への
 道に入りき採石場で
 作業中の人に山頂を
 たずねたら雲仙側の
 峰ではと教えてくれた。
 年に2-3回訪ねて来る
 人があるという。

左 蓮華石岳も採石で
 山の形が変わって
 いたがこの山も砕石で
 形が変わってしまって
 いる。

右 尾根にある境界杭

左 山頂?
  三角点はないので
  高いところを目ざす。
 尾根には境界杭と
 送電線の下に切り
 分けがあった。

右 砕石場越に
   雲仙岳を望む
 
 碁盤ノ辻(きばんのつじ) 270m ≪2009年1月11日≫ 変わった名前の山

 土師野尾の大鳥居を
 くぐり九州自然歩道の
 案内にしたがって
 林道を行く。

左 碁盤ノ辻登り口
  
  
右 林道から250m
 木段が整備されている

左 山頂から多良岳を
  望む。
   山頂は伐採されて
 明るいが案内板に
 書かれているほどには
 展望は良くなかった。
  
  
右 自然歩道は花ノ木を
 経て井樋ノ尾へ至る

  飯盛山 294m ≪2009年1月11日≫ 諌早市旧飯盛町由来の山

左 登山口
   五穀神社鳥居

右 登山道脇にあった
  石祠


左 山頂
  三角点はない
  石塔には凡字と
  仏像が彫られていた

右 TV中継アンテナ
 モノレールが来ていて
 工事中だった。
  地デジ対策か
 井樋ノ尾岳 406.8m ≪2009年1月1日≫ 大晦日の忘れ物をとりに,元旦の登り初め

左 権現神社入口
 昨日下山後に
 林道を確かめ、
 船石町からの
 登山道がある事も
 確認済み

右 林道工事中。
  通行止で昨日の
 地点までは行けず
 神社入口まで
 引き返す。

左 高岩神社入口
  登山口の案内は
 なかったここから
 登った。

右 高岩神社
  道はここまで
 すぐ上に見える
 尾根まで木々に
 すがって登った。

 
 860m付近の尾根から見た
  
前日登った船石岳(中央)
  左が松尾岳、右が行仙岳
 松尾岳山麓の雪で白く見える
 ところが上座集落
  右下に見えるのが通って来た
 林道。(下地図参照)

   

左 尾根道
  尾根に出ると
 踏み跡があり
 所々赤テープも
 ある自然林の道と
 なる。

右 小さなピークを
 越えて杉林に入る
 

左 忘れ物の
  スティック
  無事発見

右 雪に覆われた山頂


左 権現神社登口
 船石町(木場名)の
 氏神様だったいう
 ことだが林道が
 高岩神社と分断
 平成17年に裏参道
 として整備された
 という。

右 東照権現神社
 
 井樋ノ尾岳 406.8m ≪2008年12月31日≫ 登り納め

左 転石から
 都通川砂防堰堤下
 まで行き、堰堤の
 上まで歩く

右 谷に沿って登る
 

左 古い石積みに
 そって谷を登るが
 倒木やヤブに
 阻まれ左の尾根に
 逃げる。
 

右 20分で林道に出た
 林道権現線の
 標識があり、
 井樋ノ尾から
 ここまでは舗装済
 船石方面はまだ
 未舗装のようだった

左 林道を横切り
 間伐済みの
 植林地を登る。

右 三角点のある
 井樋ノ尾岳山頂
 山名標識の下に
 長崎朝霧山の会が
 設置した標識があり
 船石町方面の
 案内があった。
 これが役に立つとは
 この時は考えても
 みなかった。
 八天岳 296.7m ≪2008年4月29日≫ 江戸相撲の名力士稲妻大蔵が天狗と相撲をとったという

左 土師尾バス停前の
 大鳥居
  奥が八天岳

右 登山口
  天狗と大蔵の里

左 参道の鳥居
 奥に社殿か祠でも
 あると思ったのだが

右 稲妻大蔵が
  天狗に相撲を
  教わったという
  土俵?
 大蔵は天狗の夢を
 見て授かった子ども
 だとか。後に江戸
 相撲の力士になり
 無類の強さを誇っ
 たが一度の八百長
 の後は天狗の力が
 なくなり勝てなく
 なったという

左 桧の植林地を登る
 木段が整備されて
 いる

右 山頂は広場と
 なっていて
 トイレもある。
 広場にはワラビが
 伸びツツジが
 咲いていた。
  奥の石碑は
 開墾記念。
 戦後はここまで
 開墾されたの
 だろう

左 山頂のアカガシ

右 三角点
 広場から少し
 登ったところに
 あります。
 向山 168.2m ≪2008年4月28日≫ GPSをたよりに諫早のヤブ山を歩くと偶然島原街道に

左 島原街道一里松跡
 GPSをたよりに
 地図もなく諫早の
 ヤブ山に入ったら
 突然こんな標識が
 現れ歩いていく事に
 しました。

右 二位尼碑
 二位尼とは
 安徳天皇の祖母だ
 そうです。


左 安徳天脾
 源平の戦いで
 壇ノ浦で入水した
 はずの安徳天皇は
 じつは逃れて
 この地まで来たの
 だという。

右 周囲は新緑が
  眩しい


  街道の途中からアンテナが
  見えそこまで行くことにしました。
  道もなく一番近そうなところから
  山頂を目指しました。
  
左 向山無線中継局とあったので
  向山というのだなとわかりました。
  三角点名は積岳
  
右 有喜街道と
   島原街道の案内碑
   近くでお供えの榊を採り入れ中の
   方に枇杷を頂きました。

左 街道脇に
  咲いていた
  ヤマツツジ

右 大型ゴミの廃棄に
 街道は悩んで
 いるようです。


左 夫婦木の大杉

右 川床にある
  丸尾三角点
  129.9m

 
 金比羅岳 247m ≪2008年1月19日≫ 諫早市小野の由緒ある山

 小野の神社から
 参道を行く。

左 金比羅神社の
 鳥居

右 参道
 あまり使われて
 いないようだ
 何回か
 コンクリートの
 車道を横切る

左 酒造の神様松尾社
 本神社は京都嵐山の
 松尾神社だそうです
 ここまで
 アスファルトの
 車道が来ていました

右 芭蕉句碑 翁塚
 「初しぐれ 猿も
  小蓑を ほしげ也」
 芭蕉はこの句は
 伊賀で詠んだとか
 何でここに・・・
 江戸時代芭蕉の
 好きな人が建てたと
 いう。

左 鳥居型山門
 寛延元年(1748年)
 創建の曹洞宗の
 金光明山性円寺が
 あったという。
 扁額に金光明山と
 あった。

右 参道
 参道の脇には
 狛犬あり石灯籠
 石仏が多数並び
 ここは神社か?
 お寺か?

左 石像
 仁王さんらしきものが
 獸を押さえつけている。

右 金比羅神社鳥居
  扁額には
  金比羅鎮護大権現とある
  

左 狛犬ならぬ
  狛カニ
 参道の両側に
 あった。
  ここの石像は
 とにかく変わった
 ものが多いようだ

右 三角点
  神社の先に
 広場があり
 ベンチと三角点が
 ある。

左 蓮華石岳
 広場から望む
 東半分は採石の
 ため削られている


右 諫早市街
  松尾社まえの
  広場から。
 蓮華石岳 280.3m ≪2008年1月19日≫ 採石場の山

 金比羅岳のあと
 蓮華石岳をめざす
 有喜の古賀集落の
 歴代庄屋の墓の
 案内から立石の
 方へ向かい墓地の
 横のコンクリ道を
 行き舗装の切れた
 とこから桧林を
 ヤブコキした。

左 山頂の地蔵さん
 ここまで林道が
 来ていて新しい
 お供えもあった。

左 巨石の散在する
 山頂から先に
 登った金比羅岳と
 諫早市街を望む

右 眼下には
  採石場が、
 その向こうに
 諫早干拓が広がる
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