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 ≪英彦山 秋 2009年11月8日 2006年11月3日 2002年11月2日≫
 2009年11月8日 紅葉を求めて
  
キャンプ場に駐車し豊前坊まで行き、望雲台を経て、南岳、中岳に登り中宮前から野鳥観察路を
   駐車場に戻りました。山頂付近の紅葉は終わっていましたが暖かい好天の下、山麓も山頂も温泉も
   賑わっていました。 

左 スキー場(あと?)
  温暖化で雪も
 少なくなり
 このところ
 滑れる日も
 ないのだろう。
 一面のススキの原
 になっていました

右 参道
 石畳が往時を偲ば
 せます。

左 高住神社
  キャンプ場から
 30分、紅葉も見頃と
 あって多くの参拝
 客(観光客)で
 賑わっていました
 
 右 望雲台
   登りも下りも
 大変ですが、
 ここから望む
 鷹巣山は紅葉
 まっさかりでした。
左 刈又山
  三角錐が端正
  前景の紅葉が
  散ってしまった
  のが残念です

右 縦走路のブナ
  紅葉も終わり
 わずかに散り
 残ったものも
 1991年の台風で
 多くのブナ木が
 倒れました。
 酸性雨の影響も
 あるのでしょう。
 ここでは再生の
 ための調査が
 行われています。

左 中岳広場
  中岳の山頂には
 神社の上宮があり
 飲食禁止です。
  みなここの広場で
 休息、好天の日曜日
 とあって多くの人
 で賑やかでした。

 右 山頂のマユミ
  その赤色が鮮やか
  でした

左 英彦山上宮
    南岳から
 この日神社の中は
 無人でした。

 右 野鳥観察路
  紅葉の道を
  駐車場に戻る。
   2006年11月3日 紅葉 今年の紅葉は今ひとつでたが山頂は人であふれていました

左 豊前坊
  高住神社の
  銅の鳥居
  紅葉もぼちぼち

 右 高住神社


左 神社の牛の象と護摩焚きのための
  桧の枝の束(手前緑)

 右 奇岩 今にも落ちそうな逆鉾岩

左 望雲台へ
  狭い岩場を鎖に
  伝って登る
  湿った岩には
  多数のイワタバコが
  着いている。
  実のなったものも
  あった。

 右 狭い岩場を登り
  岸壁を左へ
  トラバース
  眼下の紅葉も始まる

左 望雲台
  高さ150mはある
 岸壁の上
  眼下に天狗ライン、
  紅葉の始まった
 鷹巣山が望める
 絶景だが高いところが
 だめな人は足がすくむ 

 右 北岳とブナ
中岳山頂は
 多数の登山者で
 大賑わい

右 山頂近くの
   杉の大木も
   枯れて白骨樹に
   なったのも多い
    このあたりの
   紅葉が盛りと
   いうところ、
  豊前坊や奉幣殿の
  紅葉まではいま少し
  だが、スロープカーも
  出来き、護摩焚きと
  あって観光客も
  多かった。
 2002年11月2日 紅葉 天気予報は今一つでしたがそれこそ運を天にまかせ、紅葉を求めて英彦山に
    行きました。2台の車で行き1台を別所に駐車、豊前坊−中岳−別所と周遊コースです。雪がちらつきま
    したが歴史と信仰の山だけあって木々の一本一本、登山路の石ひとつにも、時代がしのばれます。
       (7:30)別所=豊前坊(8:00)−(8:20)望雲台−(8:55)尾根−(9:15)北岳−(9:50)中岳(10:40)−
       (10:50)行者堂−(12:00)奉幣殿−(12:25)別所=豊前坊=(13:20)深倉峡
 
 左 
 登山口の高住神社
 右
 登り始めると
 筆岩、屏風岩等
 奇岩が現われる。
 この岩には、
 イワタバコが
 多数付いている。

 左
 今回はフリッツも
 同行。
 例によって先に
 行き見晴らしの
 良い所で私たちの
 登って来るのを
 待ちます。
 安政年間に出来た
 案内碑の前で

 右 
  尾根直下から
  青少年の家を
  振り返る。
 

左 登山口から
 1時間余
 北岳に着く、
 聖地とあって
 立入禁止です。

 右
  紅葉の縦走路
 この辺り、ブナ、
 モミジ、
 ドウダンツツジの
 紅葉を見ながらの
 散歩道です。
 
 

 左
 縦走路から
 紅葉越しに北岳を
 振り返る。

 右
 中岳の山頂に建つ
 英彦山上宮。
 神主さんが毎日
 登り御札などを
 売っています。
 すぐ下に売店も
 あり、おでん、
 うどん、酒など
 もある。

 左
  行者堂の水場
 樹齢数百年の杉の
 大木も1991-2年の
 台風の60mを越す
 強風で倒れたり
 枯れて白骨林に
 なっています。

 右
 山頂付近の紅葉は
 今ひとつだったが
 谷あいは見頃。
  土曜日とあって登山者も多い。                   今が盛りの紅葉  野鳥の森の谷筋で。(ウグイス谷)

左 奉幣殿
 細川の殿様の
 寄進だそうです。
 右
  銅(カネ)の鳥居
  鍋島の殿様の
  寄進だそうです

 
 三千坊を数え大名が競って寄進した英彦山も明治の廃仏棄釈で多くの仏像や石仏などを失いました。
 かっては英彦山参りは私の田舎からも盛んで二泊でいったそうですが、近年の車社会で旅館も多くが廃業して
 見るかげもありません。しかし登山者が途絶えることはありません。
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